アルペン米代表リンゼイ・ボン選手、怪我を乗り越え挑む平昌!今までの道のり

 
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アルペンスキーアメリカ代表のリンゼイ・ボン選手をご存知でしょうか。

平昌オリンピックの広報大使を務めたことで、外国人初の広報大使としてニュースになりました。

モデルとしても活躍している、美人アスリートです。

意志の強そうな表情が印象的です。

美しいだけではなく、アルペンスキー界での成績がものすごく素晴らしいんです。

2018年2月4日のドイツで行われたアルペンスキーのワールドカップでは、今季4勝目を飾り、通算で81勝という記録を残しました。

競技に強気なスタイルで挑むリンゼイ・ボン選手ですが、今まで何度も大けがをし、何度も乗り越えて現在に至っています。

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アルペンスキー競技とは

まず、アルペン競技についてです。

アルペン競技とは、ヨーロッパのアルプス山脈系のもと山岳スキー技術として誕生、発達しました。

急で険しい山を滑り降りる競技で、スタートからゴールまでの所要時間で競います。

種目はダウンヒル(滑降競技)、スーパーG(スーパー大回転)、ジャイアント・スラローム(大回転)、スラローム(回転)、これら2つ以上の種目を組み合わせたアルペン・コンバインド(アルペン複合)の5種目です。

これらの種目は「スピード系」と「回転系」に分かれます。

スピード系はダウンヒル、スーパーGの2つで、1本のタイムだけで競います。

ジャイアント・スラローム、スラロームの2つは2本の合計タイムで競います。

アルペンコン・バインドはスピード系(ダウンヒルまたはスーパーG)1本+スラローム1本の、2本合計のタイムで競います。

 

ちなみに・・・選手はクルクル回るわけではないのに「回転」という表現をします。
これは、スラロームの日本語直訳が回転なので、その影響のようです。
バイクの運転などでも、パイロンを左右に避けながら蛇行運転することをスラロームと呼びます。
回転というより、ターンと考えるとしっくりきます。

リンゼイ・ボン選手

リンゼイ・ボン選手はアルペン競技種目の中でも、スピード系種目で圧倒的な強さを持っています。

早いスピードを出せる精神的な強さがあり、競技スタイルは強気です。

時速100kmを超えるスピードが出ることもあるアルペン競技、その分怪我の危険もあります。

経歴と怪我

2002年、ソルトレークシティオリンピックに17歳で出場し、アルペンスキー・コンバインドで6位に入賞。

その後20歳でワールドカップ初優勝、23歳でワールドカップ年間総合王者、24歳で世界選手権で金メダルを取得と輝かしい成績を残しています。

しかし、その裏では常に怪我との闘いがありました。

2006年、トリノオリンピックではレース前日の練習中にクラッシュして怪我をし、救護ヘリコプターで地元の病院に搬送されました。

ですが翌日の本番では入院した病院から会場へ向かい、怪我をしながらも大会に出場、8位入賞を果たします。

2010年、バンクーバーオリンピック直前の練習中に転倒し、右足すねを強打し怪我を負いました。

強く痛め、数日間歩くのが困難。ブーツを履くだけで激痛が走る程でしたが、大会開催が延期するという出来事も重なり強行出場。

なんと金メダルと勝ち取りました。

ソチオリンピックの約1年前である2013年の世界選手権のレース中に大クラッシュし、右膝の前十字靱帯を断裂してしまいます。

手術を乗り越え、1年後のソチオリンピックに向けて準備を始めますが、またしても右膝を痛める怪我を負ってしまいました。

悩み抜いた結果、ソチオリンピックの出場は諦め、完全復活のため手術、リハビリに励みます。

まとめ

今回、2大ぶりのオリンピックとなる平昌が自身最後の五輪になることを発表しています。

何度大怪我をしても、そのたびに怪我に向き合い強く戦ってきたリンゼイ・ボン選手。

常に、想像もできない恐怖や不安があったと思います。

その精神的な強さは、とても尊敬し憧れます。

本番での演技を、心から応援したいと思います。

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